年が明けてから地震のニュースが続いています。宮崎県では震度5弱の地震がありました。津波が発生するも大事には至らず、気象庁は南海トラフ地震との関係性は薄いとしています。福島県も同じ震度5弱が観測され、雪崩など注意が呼びかけられています。
そんな中、17日は大きな被害を被った阪神淡路大震から30年を迎えました。亡くなられた方々のご冥福を改めて祈るばかりです。神戸市は震災の特別展示会を開催し、式典には両陛下がご見学されるなど、被災地としての記憶を風化させない取組みを行っています。
阪神淡路大震災を機に人生が変った人は多いことでしょう。大手商社マンからグリーン・ポケットに転身されたAさんもその1人です。1995年1月17日、騒然とする人波の中、神戸に向かうAさんの姿がありました。
〇被災地で感じた自身の無力さ
震災当時、Aさんは中間管理職として仕事中心の忙しい毎日を送っていました。あの日は大阪支店に出張していて、連絡のとれない社員の安否を確認するため現地に入ります。被害の状況を目の前に、Aさんは言葉を失います。
『社員とその家族が無事だったのがせめてもの救いでした。私に出来ることは瓦礫の掃除を手伝うぐらいです。何の役にも立てない自分が情けなくて・・・あの無力感は忘れられません。
それから人生観が変わりましたね。年収や組織の中でのポジションが瓦礫のように思えてきて、自分は何をしたいのだろうと考えました。そうして社会の役に立っているという実感、人に喜んでもらっているという実感が持てる仕事がしたいと思うようになったのです。
そんな折グリーン・ポケットを知りました。先ず「緑による文化の創造」という理念に惹かれました。時代は地球温暖化が懸念され始めたころで、環境に関する仕事は社会的な意義を感じました。また緑を嫌いな人はいないし、世界中の人に愛されている。「この仕事だ!」と思いましたね』
〇理念は変らない
Aさんには会報誌の取材で何度かお会いしており、今回紹介したのはその時にお聞きした話です。高度経済成長期の最後を知る世代のAさんにとって、震災は人生感を変え、そしてグリーン・ポケットに出会うきっかけとなりました。ささやかながら「社会の役に立っている」「お客様に喜ばれている」実感があると、笑顔で話されていたのを覚えています。充実した第2の人生を送られているようでした。
Aさんは数年前に引退されましたが、同じグリーン・ポケットの理念を胸に刻んだスタッフたちが、今日も営業にサービスに皆様の元へお伺いしてます。人は変わっても理念は変わりません。創立48周年となる今年も、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。